そんな子じゃないもん!

kinoco_chang2004-09-22

(writer:きのこ)

ブスの産地で生まれ育ったからといって、ユカちゃんがブスな訳じゃないよ!みんな信じて!ユカちゃんそんな子じゃないもんっつっつっつつつつうううっつう!
え?なんですか?お土産のねだり方が遠まわしすぎる?


さて、こういった場所で宗教の話をすることはタブー視されているわけですが、今日わたしが思ったことをここに記してみようと思います。なにか特定のものを否定したり、問題視したり、そういうわけではありません。ただ、その存在を不思議に思うのです。人をシアワセにしたり安心させたり満足させたり。そういう力を持つものが、時として人と人との仲にミゾをつくる。実際にそのミゾを作ったものは宗教そのものではなく、お互いの理解の違いにすぎない。けれどもそのものの持つ「副作用」については、「こういった場所で宗教の話をすることはタブー視されている」と最初に申し上げたこの言葉こそが、全てを物語っていると思うのです。(その発言はあなたの勝手な思い込みではありませんか?というかた、「宗教 話 タブー」でググってみてください。)
と、何故いきなりこんな話かというと、先日突然亡くなった方のお葬式に出てきたからです。無宗教だった彼が以前から口癖のように言っていた「俺は無宗教だから、葬式なんていい。坊さんも神父もよばないでいい。」と、いう意思を尊重したい家族と、そうでない人と。お互い食い違ったまま、やり方のわからないままことは進み、当たり前のように起こるトラブル。こんな時に争いを起こさなくても・・・と思わずにいられなかったわけです。


8年前に祖父が亡くなったときの事。「賛美歌を歌うのが好きだから」という理由で教会に通っていた彼は、「葬式のときに正座じゃ、みんなつらいだろう」と死の1日前に入信。キリスト教のしきたりに則ってのお葬式となりました。人によっては彼のことを「不謹慎」というかもしれません。もちろんそれ以外の考えもあったのだろうとは思います。けれど、賛美歌を歌うのが楽しいという自分のシアワセのためや、正座じゃ辛かろうと人を思いやる気持ち。こういうとっても純粋で暖かく誰も傷つけないこの動機を、私は不純だとか不謹慎だとか思わないし思われたくない。世界中のどんな宗教を信じている人でも、彼のことを「間違っている」とは、言えないと思うのです。


今回目にしたトラブルを、亡くなった彼がどこかで見ていたとしたら、こんなに悲しいことってないじゃないですか。「副作用」を無くすことのできる強い力をもった何かがこの世に存在するのなら、誰か教えてください。私だけにじゃなくて、世界中のみんなに。
うまくまとめられませんが、以上でおわります。批判やなんやらあるようでしたら、後日消去しようと思います。そういうことのために書いたんじゃないのでね。 きのこ